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2007年04月26日

天璋院

NHKその時歴史が動いた、より

大奥 華(はな)にも意地あり
~江戸城無血開城・天璋院篤姫~

江戸城無血開城といえば、西郷隆盛と勝海舟だが、
その裏側に天璋院という女性がいた。

天璋院は、薩摩出身で政略的に、幕府側の大奥に身を置くことになったが、
大奥にいる間に、鳥羽伏見の戦いが始まり、故郷から倒幕されることになる。

そして、いざ攻め入られんとするときに、旧知の西郷へ嘆願の手紙を送っている。
実物がテレビ初公開。なかなか達筆で、長文だ。

この手紙が、
「慶喜を穏やかに引退させよとの嘆願、はなはだもって不届き千万。
ここは断然、慶喜を追討しなければならない」としていた西郷を無血開城にいたらせるに
少なからず影響を与えたといっても間違いないだろう。

やっぱり、こういう裏側ってあるんだなぁ。

そして、同じような運命を辿った和宮へ箱根の旅館で詠んだ和歌がいい。

●篤姫の大奥での徳川慶喜擁立工作の進捗状況について西郷が薩摩に報告した手紙
「大奥の女相手のことゆえ急速には運びかね、歯がゆい思いをしております」
『西郷の橋本左内宛の書簡』(安政5年正月19日付)より引用し意訳。
書簡の現物は福井市立郷土歴史博物館(福井県福井市宝永3丁目12-1 電話0776-35-2845)に保管されています。

●大奥での慶喜工作の失敗について篤姫が語った言葉
「このような一大事を承りながら状況を変えられず、私は口惜しくてなりません」
福井藩士・中根雪江が記した『昨夢記事(さくむきじ)』の中の篤姫の書状より引用し意訳。

●天璋院(篤姫)が薩摩の赤味噌を送ってくれるよう頼んだ言葉
「ふるさとの赤味噌を送ってもらってください。薩摩の味噌でないと食べることがきません。」
『薩摩藩奥女中文書』より引用し意訳

●輿入れ前の和宮が幕府に出した要望
「天璋院を大奥から出し、別の建物に住まわせて下さい」
万延元年に朝廷から幕府へ示された『朝旨十二條』より引用し意訳。

●和宮について天璋院が述べた言葉
「和宮様の世話をしたいと思うのですが、京都出身の女中達から風儀の違いを笑われ、なかなか思うようにいきません」
『静観院宮御文通留』所収の和宮の書状より引用し意訳。

●京都滞在中の将軍家茂へ天璋院が書いた書状について
「早く御所をおいとまし無事にお戻り下さい。色々と難しい時期ですので、よくあとさきを考え、何事もうかつになさいませんよう、よくよくお気をつけ下さい」
『天璋院家の茂宛書状(文久3年4月下旬~5月)』より引用し意訳。
書簡の現物は財団法人徳川記念財団(電話03-5790-1110)に保管。恒常的に展示はされておりませんが、展覧会などに出品されることがあります。

●鳥羽伏見の戦い以後の状況を心配する天璋院の言葉について
「私は当惑し、心を痛めております。日夜安んじて食事をとることも眠ることもできません」
『天璋院の西郷宛の書簡』より引用し意訳しました。

●徳川慶喜の朝廷への嘆願を拒絶する西郷隆盛の言葉
「慶喜を穏やかに引退させよとの嘆願、はなはだもって不届き千万。ここは断然、慶喜を追討しなければならない」
『西郷隆盛の大久保利通に宛て書状(慶応4年2月2日付)』より引用し意訳。
この書状の現物は国立歴史民俗博物館に保管されています。
(国立歴史民俗博物館:千葉県佐倉市城内町117 電話03-5777-8600)

●江戸城内の家臣たちを説得する和宮の言葉
「ただただ神君家康公以来の徳川家の家名が立つよう謹慎を続けるように。抵抗さえしなければ徳川家が滅ぶことはないのです」
『静観院宮御日記』(明治元年3月18日)より引用し意訳。現物は宮内庁書陵部に保管されています。

●江戸城からの退去を求める幕臣たちに対し、天璋院が応じた言葉
「一歩でもここは出ません。もし無理にお出しになれば、自害します」
『勝海舟全集・第20巻 海舟語録』より引用し意訳。

●勝海舟が天璋院を評した言葉
「天璋院の人となりは貞婦というか烈婦と申そうか、実に類い希なるお方である」
『勝海舟全集・第22巻 秘録と随想』より引用し意訳。

●天璋院の西郷への嘆願の言葉
「今、国家の形勢はいかばかりかと朝夕心配しております。私は女で無力ですが、徳川に嫁ぎました以上は徳川家の土となり、この家が安全に永らえることを願ってやみません。悲嘆の心中をお察しいただき、私の一命にかけ、何卒お頼み申し上げます。」
『天璋院の西郷宛の書簡』より引用し意訳。

●天璋院の和宮にまつわる記述
「塔ノ沢で和宮が亡くなった建物を見た。胸がふさがり、懐旧の涙が袖をしぼるほどあふれるのを、私は抑えることができなかった」
『熱海箱根湯治日記』より引用し意訳。
日記の現物は徳川記念財団に保管されています。恒常的な展示はされておりませんが、展覧会などで 展示されることがあります。

●天璋院が和宮の思い出を歌った和歌
「君が齢(よわい) とどめかねたる早川の 水の流れも うらめしきかな」
『熱海箱根湯治日記』より引用。

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投稿者 ryutaro : 2007年04月26日 00:12
コメント

「君が齢(よわい) とどめかねたる早川の 水の流れも うらめしきかな」

この歌、いいですよねぇ。

投稿者 アルジャーノン : 2008年09月28日 18:13
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Date: 2007.05.16
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