北京の開会式は、総合芸術として本当に、驚くものでしたね。
ものすごい予算による数と大きさにものを言わせた演出で、
それが政治的なものだとかそういう議論もきっとあるわけですが、
でも、中国映画であるような古典的な中国の表現は思ったより少なく、
(それをやっても中国のポジションは上がらないと考えたのかもしれません。)
むしろそれらがモダンなデザインや表現になっていたので、
近代化している中国のセンスを出していた仕上がりになっていました。
寄りの画像で出てくる衣装や小道具の質までが高かったのですが、
衣装に関しては、石岡瑛子さんが関わっていたと。なるほど。
そういうセンスのぶつかり合いもあったんだろうな、と思いました。
石岡さんは世界で活躍をしていて、日本では最近仕事をしていないようなので、
あまり話を聞くチャンスは少ないのですが、
2003年に1度切り行われたVISUALOGUEというイベントで、
彼女の講演を聴くチャンスがあって、様々な有名デザイナーやアーティストの中でも
ものすごいオーラを出していたのが印象的でした。
その時のレポートより;
エンターテイメント・デザイン
血が、汗が、涙が、デザインできるか
圧倒的なパワーを放つスライドショーが始まり、「EIKO on STAGE」の文字が出ただけで、歓声と拍手が湧いた。NYでデザイナーというエリート意識をすべて脱ぎ捨て、自由の身になった石岡瑛子。「自分がエキサイトできる仕事だけをすること」。氏の語るエンターテインメントデザインとは、この上なくシンプルで純粋な欲望のことであった。グラフィック、映画、舞台、サーカス。どんなフィールドへ翔いても、氏のスタンスは変わることはない。結局は血が、汗が、涙がデザインできるか。自分の中に情熱がなければ伝わるはずはないという言葉は、すべてのクリエイターが忘れてはならない原点ではないだろうか。石岡瑛子は厳しい評論家にジャッジされるほど燃える。見たことのない物への挑戦ほど燃える。オーダーが困難なほど燃える。高いハードルを超えた人だけが味わえる、スリル、喜び、興奮。氏の繰り広げるエンターテインメントは、国籍や性別を超えて「個」の価値を追求する、ゆるぎない意志力が作りあげている。
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