決壊 上巻
平野 啓一郎
新潮社 2008-06-26
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少し話題になっていたので、平野啓一郎さんの小説を読みました。ジャンルとしては犯罪小説。一気に読んだ。
ネット社会の中での仕掛けと表現が非常にドキドキして面白かった。
読後の感想としては、文学的、小説的にというより、
残虐な犯罪を中心とした社会の暗い部分を照らす本として面白く、考えさせられた。
僕が物心ついてから覚えている犯罪事件で言うと、
松本サリン事件(1994)、地下鉄サリン事件(1995)、神戸連続児童殺傷事件(1997)、
和歌山毒物カレー事件(1998)、池袋通り魔事件(1999)、下関通り魔殺人事件(2001)、
付属池田小学校事件(2001)、仙台アーケード街トラック暴走事件(2005)、
秋田小1男児殺害事件(2006)、秋葉原通り魔事件(2008)、、etc
などが思い起こされるわけですが、忘れてしまうくらい沢山の事件があった。
どの事件にも、加害者がいて、被害者がいて、容疑者がいて、警察がいて、マスメディアなどがいて、
それらの人に、親戚や友人知人という関係者がいる。
どれもその時は大きくメディアで取り上げられる。
そして、話題が続く限りの一時的なもので終わる。
しかし、それよりはるかに長い「事件前後の時間」があり、
多くの人のその後の人生に、とてつもなく長く辛い時間を残す。
本書はそこを描いている。
(というか僕にはそこが一番印象に残った。興味を持った人は読んでくださいね。)
また、ポイントはこの作者は、「ウェブ人間論」という本を梅田望夫さん(ウェブ進化論他)と書いている人で、
ネット社会とこれらの事件をおそらく意欲的に調べ観察して、表現されているところ。
秋葉原通り魔事件(2008)より前に書き出しているので、それを予見していたが如くである。
ブログを読んでみると、そのへんの思考の一部を知ることが出来る。以下平野さんのブログより引用。
平野啓一郎;
『決壊』でも書きましたが、この「連鎖」という現象に関しては、ネットというよりも、マスメディアのアナウンス効果の方が大きいと思います。小学校乱入事件が連日報道されていた時には、同じような事件が続きましたし、ネット心中や硫化水素自殺も同様です。といって、そうした事件については、一切報道すべきでないというのも非現実的な提言で、結局は、どういう報道の仕方が、アナウンス効果を最小限に留められるのかについて、地道な検証を繰り返しながら、考えてゆくしかないでしょう。マスコミ各社が、第三者を含む検討委員会を作って、この問題に特化した共通のガイドラインを作成することは意味があると思います。
平野さんは、結局はネットで全てが書かれてしまうことも前提にしつつも、こう書いていると。日本のテレビでは、自殺の方法を説明してしまうが、WHOの基準では報道するべきでないことが明示されている。この前の森山直太郎の発言(1人がネガティブな受け取り方をしてしまうのは、望んでいない)みたいな、情報公開の影響についての判断をよりすべきなんだろう。
平野啓一郎;
「ネットの暗部」という言葉がよく用いられますが、それが予測不可能性という意味で用いられているのでないとすれば、そのほとんどは、同じ紋切り型で返すなら、「人間の暗部」の表現に過ぎません。「人間の困難」というべきですが。小説家としての僕が、上記の三作を通じて書きたかったのは、「ネットの暗部」などではなくて、「人間の暗部」です。その描き方は、グロテスクだったり、滑稽だったり、物悲しかったり、と様々ですが。
ネットの暗部<人間の暗部 と。
やっぱり「心」の部分について、よく考えていく必要があるのだろう。
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