土曜日の午後吉村医院を訪れた。吉村医院とは、愛知県岡崎にある産婦人科。自然なお産、元気なお産を目指しているところ。岡崎駅から歩いて10分くらいの丘の上。普通の病院らしきところを抜けると、落ち着いた雰囲気の庭に通され、茅葺き屋根の「古屋」へ着いた。本格的な古民家のいい家だった。わざわざ移築してきたのだそうだ。そして、気付くと妊婦さん達が薪割りを今終えようとしているところだった。本当に薪割りしてるんだなぁと。今回は普段、妊婦さんが食事を作ったりしてい古屋の中で、食事をみんなで作ることになっていた。釜戸でご飯を炊き、料理をした。いいなぁ、土間と釜戸。食事を作り終えた頃に、吉村先生が来て、一緒に食事を食べながら色々な話をした。和蝋燭の中で食べる食事は薄暗くても、なんとも落ち着いていて気持ちが良かった。
吉村さんのお話は、産婦人科医療に対しての主張だったり、吉村医院でのお産のことだったり、女性のことだったり、男性のことだったり、暮らしのことだったり、仕事のことだったり、生き方のことだったり。
僕の中では、女性のイメージが変わったのが、すごく良かった。今回、助産医になろうとしている友達、助産婦になろうとしている友達に案内してもらった。感謝。
子供が出来たときに、ここの話を思い出してくれたらいいかな、と思います。
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どんなに科学が進歩しようと、人間のお産は基本的には太古から変わりません。みなさんは不思議だと思いませんか?受精卵が分裂して、子宮のなかで大きくなり、誰が肥料をやったり、餌を与えるわけでもないのに、自然に人間の形になっていく。そして、月が満ちると陣痛の波が押し寄せ、子宮が収縮し、子宮口が開いて、赤ちゃんが誕生する。誰がこんな機能を作り上げ得たでしょうか。(…)この世に生命を生み出す営みは、原始人が真っ暗闇の洞窟でお産をしたときも、あるいはピカピカの最先端の医療機器に囲まれてお産をしようとも、まったく変わりはありません。お産は自然に残された最後の自然。変わっていないからこそ、そこに真実があります。(P.8)
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お産が始まると、私はその場に呼ばれます。しかしベテランの助産婦がつき、産婦が頼りにするご主人や子ども、家族がそばで励ましている現場では、私にはやるべきことは何もありません。(P.11)
医療が介入することなく、女性が本来持っている産むのが「自然な」お産です。(P.11)
そして女性がリラックスして、お産を怖がらず、医学的な処置をしなくてもすむようなときのほうがいいお産になることが多いのです。もっといえば、そういうときの女性は神秘的なほど美しい。菩薩のように神々しく、眩しくて、まともに正視できないことさえあります。いいお産は女を女らしく、本物の「女」に変えるのだと思います。(P.16)
なるべく薬を使わない。帝王切開も極力しない。生まれた赤ん坊は母乳で育てる。自然なお産に近づけるにしたがって、吉村医院はもうからなくなってきました。それは当然です。(…)その結果、私のところには、薬やミルクや医療機器の会社の人間が誰ひとり来なくなりました。需要がないのですから、来なくなって当然です。(P.19)
病院はもうからず、医療界の関係者や医師仲間からは変わり者扱いされ、私は孤立していきましたが、そうやって世間から離れていけばいくほど、不思議と毎日が楽しく気持ちよくなっていくのです。自然に近づけば近づくほど、いいお産が見られる。ピカピカの赤ちゃんと母親に会えるのが楽しくて楽しくてたまりませんでした。(P.20)
真実のお産をすると、本物の「母親」になり、本物の「女」になる。私は彼女達を見てそう思いました。女が「女」に戻る瞬間が、セックスであり、お産です。とくにお産は、一生に何度かしか味わえない貴重な体験であり、生命を生み出すという行為の重大性において、女性の本質にふれる決定的な体験になる可能性があります。それくらい、お産は女性にとって大切なことです。(P.22)
薄暗い和室で、自分の好きな格好でお産をする。すると女の人は獣のような顔になります。人間が理性を捨てて、動物に戻る瞬間。それは神秘的なお産の始まりでもあります。吉村医院では、お産の経過をほとんど自然にまかせています。動物が暗い穴ぐらや物陰でお産をするように、明るい分娩室ではなく、和室の部屋にふとんを敷き、暗くして落ちつける雰囲気の中で行います。(P.29)
それは頭で考えた可愛さとは違います。無意識に本能的にかわいいと思うから、夜も寝ないでおっぱいをあげることができるのです。(P.38)
生まれたばかりの赤ちゃんの状態を点数化する、アプガースコアというものがあります。(…)うちはこの係数がとても高いのです。ほとんどの赤ちゃんが10点満点をとります。つまり自然に生まれた赤ちゃんは元気がいいということです。(P.44)
百年前のように肉体的労働をしっかりして、食べ物をほとんど和食にし、自然に従った生活をしていれば、ほとんどの逆子は下からつるつるに生まれるようになりました。(P.49)
おまけにいまは情報化社会ですから、妊婦を不安にさせるようないらない情報ばかり入ってくる。医者も、女性が妊娠すると、あれしちゃいかん、これをしちゃならん、とおどかすようなことばかり言うので、精神的にも不安になります。ビクビクしていては、生命力もあがらないから、いいお産ができない。(P.52)
吉村医院の敷地内にある「古屋(ふるや)」と呼ばれる茅葺屋根の古民家の前では、毎日、妊婦が元気に蒔割り励んでいます。古屋はいまどきちょっと見ない、正真正銘の江戸時代の民家です。ここで妊婦たちは蒔割りをしたり、井戸から水をくんだり、腰をかがめて雑巾がけをする古典的な労働をしています。初めて来る人が、みな肝をつぶしてびっくりするこの「古屋の労働」が始まったのはいまから20年ほど前のことです。そもそもこの民家は病院をついで10年ほどして、病院を新築した直後に、私が愛知県の足助という山村で、江戸時代に建てられた民家をみつけて、移築してきたものです。当初は私が「離れ」として使っていましたが、そのうち妊婦にも開放するようになりました。古屋には古い土間とかまどがあって、床は竹のすのこです。(P.54)
お産に関する神の戦略は完璧です。それを医療はよけいな介入をすることで壊しています。母子を分離させることなど、よけいなことの最もたるものだと思います。(P.86)
自然に生まれれば死んでいた命を、医学の力で無理やり生かし、いっぱい管につないだり、あちこち切ったりして、延命させたところで、はなしてそのことで人類の幸せが増したことになるのか(?…)医学が人の命にどんどん干渉し、人間は長生きできるようになりましたが、だから前より幸せになれたとは言い切れません。(…)死ぬべき命を助けるのが、無条件にいいことだと考えるのは医学の傲慢です。死ぬ者死に、生きる者は生きる。生死を決めるのは医学ではない。(P.88)
私は助産婦を増やしたらいいと思います。産科医である私がこれを言うのは、自らの首をしめるようなものですが、私はそう思う。(P.109)
西洋の科学万能主義が正しくて、日本の文化が間違っていたわけではありません。日本には日本の文化や伝統があります。西洋の物真似をするのではなく、そのよいところを踏まえながら、日本の風土にあった新しい文明をつくっていく必要があるのだと思います。(P.114)
明治になって西洋文明が入ってくると、日本は一気に工業化社会の道を突き進みます。人々は農業を捨てて、会社や工場で働くようになりました。企業に勤めて、給料をもらう人間のあり方は、人をまるで家畜のようにします。(…)その結果、人間の社会は完全に動物園になってしまいました。「保障」というオリのなかで一日中ダラダラしていて、生きていく緊張感がない。(…)この工業社会を無自覚に肯定したり、この歯車の中で地球環境を破壊するような動きに積極的に加担すべきではありません。大本は変えられないにしても、そのなかで少しでも自然に近い生活を心がけるべきだと思うのです。お産はそれについて考えるいい機会になります。(P.116)
誰も言わないので、私があえて言います。妊娠したら、女は働くのをやめるべきです。こんなことを言うと、時代錯誤だと思われるでしょうか。働いている女の人や女性団体から講義が来そうですが、それも承知であえて言います。妊娠したら、女は働いてはいけない。会社勤めなどの現代的な生活が、いいお産を妨げてしまうからです。(…)女が「男」になる必要はありません。男社会の一員になることはない。女は男と同じことはしない、と男に宣言するほうが女の地位を守ることになると私は思います。(P.138)
助産婦を「助産師」ではなく「助産婦」と呼んでいます。お産は「女」の領域だと思うからです。(P.153)
人間の赤ちゃんは四歳までにこの世で生きる術を学びます。その間は母子がいつも一緒にいるべきです。私の言う四歳とは、胎児の期間10ヶ月も勘定に入れた年齢です。(…)生まれてからお乳を飲んで、立ち上がって、一人前の子供に育っていくまでの4年間です。(…)昔から日本には、誰が言うともなく「三つ子の魂百まで」という言葉がありました。妊娠中プラス三年が、いかに大切かを教えている先人達の知恵です。このときの妊娠、分泌、育児というものを徹底的に大事にしなくてはいけません。(P.159)
親友の大工の棟梁は、木を刻む作業でできた木の小片でも捨てにくいと言っています。プラスチックやステンレスは、無機物から人間が作ったものであるから、捨ててもあまり罪悪感はありませんが、木の風呂桶は、バチが当たる気がして捨てにくいものです。この心があるから、日本人は自然を無意識に守ってこられたのです。国土の70%もの森を残せたのもそのためです。(P.200)
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