ちょっと更新が停滞気味でした。さてさて、「出発点/宮崎駿」はボリュームがありすぎなので少しおいておいて別の本へ。出発点と同時期に平行して読んでいた文化人類学の本で、たまたま同じ中尾佐助さんという人の名前が出てきた。そして彼の本を読んでみました。
まず、宮崎駿さんの紹介から;
『栽培植物と農耕の起源』を手にしたのは、まったくの偶然である。探せばいつかは出会うものだとか、運命の出会いとか、言葉を飾るまい。読み進むうちに、ぼくは自分の目が遥かな高みに引き上げられるのを感じた。風が吹き上きぬけていく。国家の枠も、民族の壁も、歴史の重苦しさも足元に遠ざかり、照葉樹林の森の生命のいぶきが、モチや納豆のネバネバ好きの自分に流れ込んでくる。散策するのが好きだった明治神宮の森や、縄文中期に信州では農耕があったという仮説を唱えつづけた藤森栄一への尊敬や、語り部のある母親が、くりかえし聞かせてくれた山梨の山村の日常のことどもが、すべて一本に織りなされて、自分が何者の末裔なのかをおしえてくれたのだった。ぼくに、ものの見方の出発点をこの本は与えてくれた。歴史についても、国土についても、国家についても、以前よりずっとわかるようになった。中尾佐助が、壮大な仮説をむずかしい大論文ではなく、平易な文章で新書として形にしてくれたことに心から感謝している。(P.266/出発点)
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植物学者や遺伝学者の研究により、個々の作物の原種、原産地は1つずつつぎつぎに正確に定められてくる。その原産地以外の土地にある作物は伝播によることは疑う余地はない。伝播のルートは、品種が順次変わっていく地理的分布を調べることにより、驚くほど信頼性の高い結論が得られている例がある。他のすべての文化複合にくらべて、農耕文化複合はこの方法で決定的にすぐれた特色をもっている。(P.15)
世界は農耕文化の伝播から、根栽農耕文化と、新大陸文化と、サバンナ農耕文化と、地中海農耕文化の4つの系統に分けることが出来る、と。冒頭の根栽農耕文化では、バナナの話が出てくる。この話が始めて知るような話で、時間的スケールと太古の人々がしてきたことにただただ驚く。
バナナは全世界的にみると、果物の中でいちばん重要なものだ。その生産量はあらゆる果物の中でいちばん多い。(…)現在の栽培バナナの主流になっているものはマレー半島付近からおこったといわれている。いちばんの先祖になる野生の種類はムサ・アクミナータと呼ぶ種類である。これは大きな果実ができるが、その中にはアズキ粒くらいの硬い種子がいっぱいつまっている。味も香りもよいが、これでは食べられたものではない。バナナが野生種から栽培種へと品種が優良化するのは、種無し果実へ進化することである。バナナの栽培化の最初の進歩は、たまたま雌花に雄花の花粉がつかなくても種無しの大きい果実ができる性質(単為結果性)をもった変わり者を、野生の中からさがしだしたことからはじまったと想像される。これを選んで掘り取って、植えたり保護したのが人類最初の農業だと考えるわけである。(…)バナナの品種改良はあらゆる果物のなかでいちばんみごとな成果をあげている。(…)バナナでは単為結果性という遺伝的突然変異を探しだし、それを土台として三倍体を主力とする種無し果実を実用化させた。果物類でバナナほど倍数性を上手に利用したものは文明国でもまったく比べられるものがない。その改良はほとんどがこんにち民族名すらはっきりしないような未開発地域の土民たちが成し遂げたものである。それにはとても長い年数がかかったにちがいない。その年数の長さがここでは重要な問題点である。(…)私は5000年以上昔と推定している。(P.23)
そして、インドの北部から東南アジアを抜けて日本の西半分につながる照葉樹林文化というのがあると。ここでは照葉樹林文化のみ紹介します。
東南アジアの熱帯降雨林地帯の北方、主に大陸のインドシナ半島の脊柱の山脈の上から、北方に向かって、温帯性の森林地帯がある。この温帯林は常緑性のカシ類を主力とした森林で、日本でいえば、クス、シイ、イヌグスなどのような、濃緑色の光った葉を持つ密生した森林となる。この森林は東アジア独特なもので照葉樹林と呼ばれ、東アジアでは熱帯降雨林につづく大きな生態的環境である。(…)この文化は熱帯のものより根づよく、高度に成長していくことになった。その文化は、農耕文化複合以外の文化複合のうえからも把握できるので、ここでは照葉樹林文化と呼ぶことにする。(P.62)
植生が同じ照葉樹林文化エリアのフィールドワークからの発見。共通する栽培植物は、ワラビ、コンニャク、ヤマノイモ、シソ、カイコ、ムクロジ、ウルシ、チャ、ミカン、ヤマモモ、ビワなど。
クズはさらにシナの南部から日本にわたって、同じように根から澱粉をとるのに使用されている。クズという植物は温帯植物だから、シナ、日本の場合は不思議でないが、それがメラネシアまで伝播したことは、温帯の原産地でクズ利用を含む文化複合が熱帯まで伝播をおこすまえに成立していたことを示すものである。(P.60)
照葉樹林文化の1つとして、酒は特別におもしろい問題である。(…)シナ北部、日本、インドネシアまでのあいでかもしだされる酒は世界のいずれの地域ともちがった特色がある。それは穀類の澱粉をカビの力をかりて糖化する方法である。ビールは麦芽の酵素で澱粉を糖化するが、照葉樹林文化では、麹(コージ)というカビのかたまりをつかってその中の酵素で糖化する。コージには外型上「バラ麹」と「餅麹」がある。(…)日本酒ではバラ麹ではあるが、コージを使う酒造りという点ではまぎれもなく照葉樹林的な酒である。(P.73)
ヒマラヤの中腹まで登っていくと、農家の庭先などにシソが見られるようになる。それから東部ヒマラヤのアッサム山地ではシソを栽培してその種子を集め、食用にするが油はしぼらないという民族もある。シナや日本になると、シソは油料の変種もでき、また香味野菜として愛用されて、多数の品種が作られ、多量に栽培されている。シソの香りは照葉樹林文化の香りなのだ。(P.74)
ちなみに僕はシソが好きです。そして、
照葉樹林文化には農作物、あるいは植物利用などの農耕文化基本複合の一体化のほか、他の文化複合にもいろいろの共通性が見いだされうるが、それはこの本の直接の範囲の外にある問題であるからここは割愛することにしよう。(P.75)
と、面白いところで止められている。日本のお祭りとかに興味は続くが、これは他の本で探索するしかない。
それにしても、キリストが生まれて西暦がスタートするよりずっと前の何千年前という無文字文化の時代があって、誰かと誰かが恋をしたりして(夫婦の出来かたに関してはまた色々とありますけどね)、家族を作り、毎日何かを考え、何かを食べていたわけ。今でいうデキる人は、よく栽培できる、もしくは、おいしい食べ物を作り出せる人のことになるのだろう。僕たちには、その知恵の集合としての栽培植物が受け継がれているわけだ。こういうことを考えらるのでこの本は興味深い。
そして、日本がこの照葉樹林文化圏と、北アジアのナラ林文化圏の2つに属することから、アジアの国々とのつながりを感じる見方さえも提供してくれる。これについてはもうちょっと深めていきたい。
また、中尾さんの”人類文明の傾向は原生植物に起因している”ということや、それに関連する太古のエピソードは、海外や国内を旅行したりするときの楽しみも1つ与えてくれた。
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