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発想からフィルムまで/制作プロセス/宮崎氏のジレンマについて/スタジオについて等。
個人的には、作り上げる部分の話が好きかな。やはり決まった作りかたなんてないと。
企画が決定されて、作品の制作が始まるのだろうか、アニメーターの君はそのとき初めてその作品について、あれこれと構想を練るのだろうか。ちがう。もっとずっと前、たぶん君がアニメーターになろうとさえ思わなかった、もっとずっと前から、すべてがはじまっているのだ。(…)企画としての物語や原作、あるいはもっと幸福にもオリジナルな企画が計画されたとしても、それは引き金にすぎない。その引き金に触発されて、君がいままで自分のうちに描いてきた世界、貯えてきたたくさんの風景や表現されたがっている思想、情感が、君の中から湧き出てくるのだ。(P.56)
人が美しい夕焼けについて語るとき、急いで夕焼けの写真集をひっくり返したり、夕焼けを探しに出かけるだろうか。そうじゃない、記憶も定かでないとき、母の背で見た夕焼けの、意識の襞に深く刻み込まれた情感や、生まれてはじめて、”景色”というものに心奪われる経験をした夕焼けの風景、さみしさや、悩みや、心あたたまる想いにつつまれた、たくさんの夕焼けの中から、君は自分の夕焼けについて語るはずなのだ。(P.56)
他人が面白がりそうなものではなく、自分自身がみたいものでなくてはならない。ときには一大長編が、少女の首のかしげ方のイメージから始まってもいいのだ。混沌の中から君は自分の表現したいものの姿をおぼろげにつかまていく。そして君は描き始める。物語はまだできていなくてもかまわない。ストーリーはあとからついてくる。キャラクターを決めるのも、もっと後だ。1つの世界の基調となる絵を描く。(…)そして、「初めて描かれた絵」が生まれるのだ。(P.57)
どんな世界、シリアスなのかマンガ的なのか、デフォルメの度合は、舞台は、気候は、内容は、時代は、太陽は1つなのか3つなのか、登場する人物たちは、そして主題は何か…描き進むうちにしだいにあきらかになっていく。できあいのストーリーに従うのではなく、こんな物語の展開は?こんな人物は出せないか!幹を太くし、枝をひろげ、あの梢の先(それが発想の出発だったりする)、そしてその先の葉っぱへまで伸びていく。(P.57)
やがて虚構の世界の原形ができあがる。それがスタッフ全体の共通の世界になっていく。それはもう、そこにある世界なのだ!このプロセスがアニメーション制作過程で”イメージボード”と呼んでいる過程で、もっとも胸はずむ時期である。(P.58)
(マンガの原作がある場合)もっとも基本的な「世界を創る」作業は済んだ後であり(…)仕事としてはつまらないことを銘記してもよいだろうと思う。(P.58)
ストーリーボードを描き、作品の細部のプランを仕上げていく作業はアニメーターの仕事である。(…)ストーリーボードそのものが、ほとんどつくられなくなってしまった。かわりに絵コンテが生産され、アニメメーターの仕事は絵コンテのあとから開始されることになっている。(…)シナリオと演出のコンテにマンガ映画づくりの中心が移り、アニメーターは指示されたものを描き、絵を動かすだけの職業になっていく。机にむかって呻吟(しんぎん)し、ボードを描き、自分の考えに笑い、興奮し、ときにはのめりこんで涙したアニメーターたちはこうして退場していった。マンガ映画という言葉が光を失っていき、「アニメーション」になり、「アニメ」になっていく過程である。(P.59)
主題(テーマ)をはっきりさせる。(…)大切なことは、しっかりと裏づけのある人物たち、その人間たちが生きていることを肯定している人たちであること、その人間の願いや目的がはっきりとしていること、そしてできるだけ単純で無理のない筋の運び、だと思う。脚本がそれを踏まえてくれたなら、あとの飾りつけはアニメターの仕事だ。そのシーンの意味をはっきりつかみ、登場人物の考えていることを踏み台に、芝居やアクションを考えていく。極端な話、「A(主人公)とB(悪役)が最後に激しい闘いを演じてAが勝つ」だけでも脚本はいいのだと思う。それまでに、AとBがどういう人物で、なぜかくも激しく争わざるをえなかったかが、しっかりと描かれているのならあとはどれほど愉快に、あるいは爽快に決着をつけるかの工夫であり、多くの場合動きが決め手になるし、絵にしてみなければわからないことが多い。これこそ、アニメターの領域の仕事である。(P.62)
できあがった幹(脚本)に照らして、不必要なものを削りおとし、足りないものを補って、自分の頭の中にその”世界”を再構成する。はじめに考えたものと違った世界になっていることもあるはずだ。そして、その空間を自分の頭の中につくりあげる。風景や家の構造まで。これまでは自由気ままに描いてきたが、これからはその世界にしばられはじめる。(P.63)
1秒間24コマを4歩で走る、1歩6コマの走りがリズムがあって、一番無難だと思っている。地面から両足が離れる瞬間があるものを「走り」というのに、この基本形には空中の絵がない。(…)実際の人間の走りを分解して描き移しても、走っているようには見えない。現実の走りは、単純な線と色ヌリでは表現できない。筋肉のふるえ、髪の毛や衣服のはためき、肉眼では追いきれない肢の動きのはやさなどの微妙な場合によって成り立っているからだと思う。(P.67)
ディズニーの「ピーターパン」と東宝動画の「わんぱく王子」の空中シーンを比べてみよう。(…)飛行機からの、空間を移動する視点の体験をふまえたピーターパンでは、観客は、登場人物とともに、空を飛び、月の光が雲の影を落とす街のすばらしい展望に、開放感を味わう。自由な飛行を共有できるのだ。(P.74)
マンガ映画の中で、のりものが地を走り、水をくぐり、大空をかけるのは、人を、束縛から解放するためでありたいと思う。時速300キロ出せるスーパーカーが、300キロで走ったところで、金持ちは貧乏より金持ちだ、というのと同じである。マンガ映画の本当の面白さは、自転車が、スーパーカーと競争して、正々堂々と勝利を収めるところにあるような気がする。(P.77)
ひとつは、現在、週40本の作品が放映されていますが、はたしてそんなにアニメーションが子どもの生活にとって必要なものだろうかという考えです。もうひとつは、ものを作る人間の本能みたいなことで、おもしろいものを作りたいという考えです。この両方の間をゆれ動いているのです。ヒマになると、アニメーションはこんなにいるのだろうかと考え、しかし、目の前に仕事がくると喜んで「おもしろいものを作ろう」と考えるわけです。(P.78)
子どもが3歳のときは3歳の子どものために作ろうと思い、それが小学生になると小学生のためのものと作ろうとしていったんですね。(…)また、近所の小さい子どもにでもマトを変えようかと思っているんです。(…)昔話っていうのがありますよね。ああいうのもを読んでみるとわかるんですけど、一種の励ましなんです。(P.83)
いま、ぼくらは、豊かな貧困の社会の中で生きています。大量の音楽を聞き、大量の映像を受けとることができますが、どれほどそれが自分の感受性にうったえてくれるかといえば、それはほんの少ししかありません。それはちょっと考えればわかると思います。(…)ぼくにとっての土台は、なんのために生きていこうとするのかわからないままさまよっている人たちに、元気でやっていけよ、というメッセージを送ることなのです。現実は、なかなか、そうさせてくれませんがね。(P.84)
ある日、ぼくは子どもといっしょに釣りに行ったんです。そのとき、輪ゴムが必要なことを思い出し、子どもといっしょに林の中を探しにいったんですね。そのとき、僕も探したんですが、全然みつけられない。ところが子どもはすぐ見つけるんです。(…)とにかく、子どもというものは目の前に見えたものだけに気をとられるものなんです。(P.85)
映画の凋落というのは必然的に起こったもので、(…)映画の問題を映画復興というようなかたちで論じても仕方がないと思います。問題はいつの場合もいい作品がうまれるかうまれないかだけであって、いかにいい作品を生み出すかなんです。(P.90)
それでは僕自身、そうした文化状況全体のなかで、この量的な問題も含めていったいどうすればいいのかといえば、ほとんどジレンマそのものです。つまり、つくらないのがいちばんいいんじゃないかという気が一方でするのです。洪水にむかって、この水はきれいだからといってさらにバケツで水を加える必要があるのかという疑問がつきまとっています。しかし、その一方で、なおかつたまには洪水の中でもきれいな水飲まなきゃいけないはずだと理クツをつけたり、自分自身もそういうものが飲みたいという意識があって、目の前に仕事がくるとつい無我夢中になっちゃうといころもあるんですが、そこらへんのところで揺れ動いているのが現状です。ただ、僕自身としては、ものをつくる人間と消費する人間の関係といいますか、資本と労働の関係とか分配の問題とかも含めまして、そこであいまいな態度をとらないということを最低の根拠として仕事をしていこうと思っています。それでもチャンスがあれば仕事はできるだろうし、チャンスがなければチャンスが来るまで待つしかないというかたちで、自分を守り、自分を失わないようにして努力していきたいと思っています。(P.90)
シナリオライターにとっては、シナリオは自分の作品として完成すべきかも知れない。しかし、作品のすべてはフィルムにあるのであって、シナリオを含む全作業は、完成フィルムに到達すべき過程である。乱暴にいうならば、”フィルムさえできればあとはどんな方法でもよい”のである。私は、作品の作り方に、定まった方法も、決まった手順も存在しないと思っている。創りたい作品へ、造る人達が可能な限りの到達点へとにじりよっていく、その全過程が作品を創るということなのだ。(P.91)
現在一般化している分業化したスタッフの職種とかも、ある時期、ある場所の特定なものにすぎない。(P.91)
シナリオはたたき台にするしかない。(…)職務の領域は、集まった人間同士の力関係で決まる。(P.94)
まず作品の全体の方向、戦略目標(何を語るのか)、戦術目標(何を達成すべきか)、そして、そのための物語、時代、舞台、登場人物などのすべてを、有機的に組み立てなければならない。(P.95)
絵と文章の作業は有機的に同時進行すべきである。(P.95)
たたき台は他人が作ろうが、自分のものであろうが絶対に必要で、少しもこうではないと否定する思考の過程から、進むべき方向が見えてくることが多いのである。たとえ、1枚のペラにまとめられたメモでも、考え抜かれて生まれたものからは、流れるように絵コンテが生まれてくる。(P.98)
(すぐれたシナリオの書き方)表現したい核をはっきりと持っていること。それが物語の幹として、太くシンプルにつらぬかれていることであろう。観客の目に入るものは、梢であり、葉のきらめきである。シナリオに最も要求されるのは、大地に深く張った根、葉群にかくされた頑丈な幹なのである。葉を付ける必然の力を持つ幹さえあれば、あとデコレーションをぶらさげ、花を咲かせ、飾り立てるのは、みんあで知恵を出し合い、何とかなるのである。そしておそらく、最高のシナリオは、葉群やそこに這う虫まで、明瞭に書き込まれているものなのかもしれない。(P.100)
シナリオの書き方とか、映画の作り方とか嘘なんです全部。こういう物が作りたいという物があったら出来るんです。それだけは間違いない。(P.141)
・リミテッドアニメの批判
・空間と時間のデフォルメの批判
・貧乏という敵を失った後の動機の喪失
・アニメのゲーム化
作品のクオリティに関してはスタッフが責任を負うべきなんです。質を守るのならスケジュールも自分たちで管理できなきゃいけない。「今日は気楽に」「今日はまあいいや」って早く帰ってしまう日を減らす努力をしないとダメなんです。だからそういう意味でも、スタッフの総合力を維持していく努力をしなければいけないんです。ひとりやふたり、ひらめきのある優れたアニメーターを集めてもそれでは映画は作れないと思っています。非常に誠実で、地味だけど、粘り強いスタッフを胴体として持っていないと映画は作れないんです。その胴体をどう維持するかというと、やはりこの人たちによって映画が作られているということを、メインスタッフや経営者が意識しつづけて、その人たちを大切にすることだと思うんです。(P.118)
会社組織にするといままでのように、一作品終わったらしばらく休んでとかできなってしまうからややこしいですね。常時企画を考え、それができるかできないかを判断していける有能なスタッフをもっていないとだめですからね。それにスタッフを社員化して固定給にすると仕事のスピードが落ちますから。クオリティーとスピードとそれから新鮮な人材をいつも吸収できるだけの柔軟性ももっといなければならないですから。(P.122)
(新スタジオ建設について)やはり一箇所に集まって意思の疎通がはかれるようにしたいですから。だけどいくら探しまわっても、そいういう適当なビルがないんですよ。あれば借りますよ。(設計について)自分が演出をやっていく場合に、このほうが便利だろうと想像して設計しました。自分の机からヒョイヒョイと会議や、制作セクションの打ち合わせとか、仕上げのところや美術のところにいけるようにね。(P.126)
土曜日の午後吉村医院を訪れた。吉村医院とは、愛知県岡崎にある産婦人科。自然なお産、元気なお産を目指しているところ。岡崎駅から歩いて10分くらいの丘の上。普通の病院らしきところを抜けると、落ち着いた雰囲気の庭に通され、茅葺き屋根の「古屋」へ着いた。本格的な古民家のいい家だった。わざわざ移築してきたのだそうだ。そして、気付くと妊婦さん達が薪割りを今終えようとしているところだった。本当に薪割りしてるんだなぁと。今回は普段、妊婦さんが食事を作ったりしてい古屋の中で、食事をみんなで作ることになっていた。釜戸でご飯を炊き、料理をした。いいなぁ、土間と釜戸。食事を作り終えた頃に、吉村先生が来て、一緒に食事を食べながら色々な話をした。和蝋燭の中で食べる食事は薄暗くても、なんとも落ち着いていて気持ちが良かった。
吉村さんのお話は、産婦人科医療に対しての主張だったり、吉村医院でのお産のことだったり、女性のことだったり、男性のことだったり、暮らしのことだったり、仕事のことだったり、生き方のことだったり。
僕の中では、女性のイメージが変わったのが、すごく良かった。今回、助産医になろうとしている友達、助産婦になろうとしている友達に案内してもらった。感謝。
子供が出来たときに、ここの話を思い出してくれたらいいかな、と思います。
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どんなに科学が進歩しようと、人間のお産は基本的には太古から変わりません。みなさんは不思議だと思いませんか?受精卵が分裂して、子宮のなかで大きくなり、誰が肥料をやったり、餌を与えるわけでもないのに、自然に人間の形になっていく。そして、月が満ちると陣痛の波が押し寄せ、子宮が収縮し、子宮口が開いて、赤ちゃんが誕生する。誰がこんな機能を作り上げ得たでしょうか。(…)この世に生命を生み出す営みは、原始人が真っ暗闇の洞窟でお産をしたときも、あるいはピカピカの最先端の医療機器に囲まれてお産をしようとも、まったく変わりはありません。お産は自然に残された最後の自然。変わっていないからこそ、そこに真実があります。(P.8)
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お産が始まると、私はその場に呼ばれます。しかしベテランの助産婦がつき、産婦が頼りにするご主人や子ども、家族がそばで励ましている現場では、私にはやるべきことは何もありません。(P.11)
医療が介入することなく、女性が本来持っている産むのが「自然な」お産です。(P.11)
そして女性がリラックスして、お産を怖がらず、医学的な処置をしなくてもすむようなときのほうがいいお産になることが多いのです。もっといえば、そういうときの女性は神秘的なほど美しい。菩薩のように神々しく、眩しくて、まともに正視できないことさえあります。いいお産は女を女らしく、本物の「女」に変えるのだと思います。(P.16)
なるべく薬を使わない。帝王切開も極力しない。生まれた赤ん坊は母乳で育てる。自然なお産に近づけるにしたがって、吉村医院はもうからなくなってきました。それは当然です。(…)その結果、私のところには、薬やミルクや医療機器の会社の人間が誰ひとり来なくなりました。需要がないのですから、来なくなって当然です。(P.19)
病院はもうからず、医療界の関係者や医師仲間からは変わり者扱いされ、私は孤立していきましたが、そうやって世間から離れていけばいくほど、不思議と毎日が楽しく気持ちよくなっていくのです。自然に近づけば近づくほど、いいお産が見られる。ピカピカの赤ちゃんと母親に会えるのが楽しくて楽しくてたまりませんでした。(P.20)
真実のお産をすると、本物の「母親」になり、本物の「女」になる。私は彼女達を見てそう思いました。女が「女」に戻る瞬間が、セックスであり、お産です。とくにお産は、一生に何度かしか味わえない貴重な体験であり、生命を生み出すという行為の重大性において、女性の本質にふれる決定的な体験になる可能性があります。それくらい、お産は女性にとって大切なことです。(P.22)
薄暗い和室で、自分の好きな格好でお産をする。すると女の人は獣のような顔になります。人間が理性を捨てて、動物に戻る瞬間。それは神秘的なお産の始まりでもあります。吉村医院では、お産の経過をほとんど自然にまかせています。動物が暗い穴ぐらや物陰でお産をするように、明るい分娩室ではなく、和室の部屋にふとんを敷き、暗くして落ちつける雰囲気の中で行います。(P.29)
それは頭で考えた可愛さとは違います。無意識に本能的にかわいいと思うから、夜も寝ないでおっぱいをあげることができるのです。(P.38)
生まれたばかりの赤ちゃんの状態を点数化する、アプガースコアというものがあります。(…)うちはこの係数がとても高いのです。ほとんどの赤ちゃんが10点満点をとります。つまり自然に生まれた赤ちゃんは元気がいいということです。(P.44)
百年前のように肉体的労働をしっかりして、食べ物をほとんど和食にし、自然に従った生活をしていれば、ほとんどの逆子は下からつるつるに生まれるようになりました。(P.49)
おまけにいまは情報化社会ですから、妊婦を不安にさせるようないらない情報ばかり入ってくる。医者も、女性が妊娠すると、あれしちゃいかん、これをしちゃならん、とおどかすようなことばかり言うので、精神的にも不安になります。ビクビクしていては、生命力もあがらないから、いいお産ができない。(P.52)
吉村医院の敷地内にある「古屋(ふるや)」と呼ばれる茅葺屋根の古民家の前では、毎日、妊婦が元気に蒔割り励んでいます。古屋はいまどきちょっと見ない、正真正銘の江戸時代の民家です。ここで妊婦たちは蒔割りをしたり、井戸から水をくんだり、腰をかがめて雑巾がけをする古典的な労働をしています。初めて来る人が、みな肝をつぶしてびっくりするこの「古屋の労働」が始まったのはいまから20年ほど前のことです。そもそもこの民家は病院をついで10年ほどして、病院を新築した直後に、私が愛知県の足助という山村で、江戸時代に建てられた民家をみつけて、移築してきたものです。当初は私が「離れ」として使っていましたが、そのうち妊婦にも開放するようになりました。古屋には古い土間とかまどがあって、床は竹のすのこです。(P.54)
お産に関する神の戦略は完璧です。それを医療はよけいな介入をすることで壊しています。母子を分離させることなど、よけいなことの最もたるものだと思います。(P.86)
自然に生まれれば死んでいた命を、医学の力で無理やり生かし、いっぱい管につないだり、あちこち切ったりして、延命させたところで、はなしてそのことで人類の幸せが増したことになるのか(?…)医学が人の命にどんどん干渉し、人間は長生きできるようになりましたが、だから前より幸せになれたとは言い切れません。(…)死ぬべき命を助けるのが、無条件にいいことだと考えるのは医学の傲慢です。死ぬ者死に、生きる者は生きる。生死を決めるのは医学ではない。(P.88)
私は助産婦を増やしたらいいと思います。産科医である私がこれを言うのは、自らの首をしめるようなものですが、私はそう思う。(P.109)
西洋の科学万能主義が正しくて、日本の文化が間違っていたわけではありません。日本には日本の文化や伝統があります。西洋の物真似をするのではなく、そのよいところを踏まえながら、日本の風土にあった新しい文明をつくっていく必要があるのだと思います。(P.114)
明治になって西洋文明が入ってくると、日本は一気に工業化社会の道を突き進みます。人々は農業を捨てて、会社や工場で働くようになりました。企業に勤めて、給料をもらう人間のあり方は、人をまるで家畜のようにします。(…)その結果、人間の社会は完全に動物園になってしまいました。「保障」というオリのなかで一日中ダラダラしていて、生きていく緊張感がない。(…)この工業社会を無自覚に肯定したり、この歯車の中で地球環境を破壊するような動きに積極的に加担すべきではありません。大本は変えられないにしても、そのなかで少しでも自然に近い生活を心がけるべきだと思うのです。お産はそれについて考えるいい機会になります。(P.116)
誰も言わないので、私があえて言います。妊娠したら、女は働くのをやめるべきです。こんなことを言うと、時代錯誤だと思われるでしょうか。働いている女の人や女性団体から講義が来そうですが、それも承知であえて言います。妊娠したら、女は働いてはいけない。会社勤めなどの現代的な生活が、いいお産を妨げてしまうからです。(…)女が「男」になる必要はありません。男社会の一員になることはない。女は男と同じことはしない、と男に宣言するほうが女の地位を守ることになると私は思います。(P.138)
助産婦を「助産師」ではなく「助産婦」と呼んでいます。お産は「女」の領域だと思うからです。(P.153)
人間の赤ちゃんは四歳までにこの世で生きる術を学びます。その間は母子がいつも一緒にいるべきです。私の言う四歳とは、胎児の期間10ヶ月も勘定に入れた年齢です。(…)生まれてからお乳を飲んで、立ち上がって、一人前の子供に育っていくまでの4年間です。(…)昔から日本には、誰が言うともなく「三つ子の魂百まで」という言葉がありました。妊娠中プラス三年が、いかに大切かを教えている先人達の知恵です。このときの妊娠、分泌、育児というものを徹底的に大事にしなくてはいけません。(P.159)
親友の大工の棟梁は、木を刻む作業でできた木の小片でも捨てにくいと言っています。プラスチックやステンレスは、無機物から人間が作ったものであるから、捨ててもあまり罪悪感はありませんが、木の風呂桶は、バチが当たる気がして捨てにくいものです。この心があるから、日本人は自然を無意識に守ってこられたのです。国土の70%もの森を残せたのもそのためです。(P.200)
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ポニョを見た後、暫く考えた。彼は何をどう考えてあれを作ったのだろうかと。この本を読んで、彼の意図することを、伺い知ることが出来た。創作とは、ということに非常に考えさせられ勉強になった。分厚すぎて、読むのは大変なので要素だけ書き出す。無論、この間に良い話がいっぱい出てくるんですが。
冒頭。筑紫哲也との対談(1979)より;
(司馬遼太郎さんが亡くなった後。朝日新聞の記事で。) 「いま私は日本人の没落しようとしている情けない時代をみなければならない。司馬さんがこの情けなさを見ないで亡くなったことにほっとしている。」(P.12)
日本人の没落ということに、何が一番気になるかといったら、今後右肩上がりの経済成長が続くとか、マルチメディアがどうしたかということよりも、この国にいる子供達が元気なのかどうかということが、僕は一番気になります。つまり人が健やかに生きていれば、国は貧乏でもいいんですよね。(…)「なんとなく先は明るいぞ」みたいな時代ないことは、もうはっきりしているんですから。(…)その中で自分の子供たちや孫たちが生きていくことを考えたら、その子供たちに何があげられるか、何もあげてないなというふうに思うんです。どうしたらいいんだろうちおうことを考えると、自分自身が一体何ができるかということを実証的に考えて、その範囲でやるしかないだろうというふうに思ってますけど。(P.13)
小学校を変えなきゃだめだと思います。中学生や高校生になってから取り戻そうと思っても無理だと思います。(…)いつの間にか子供時代というのは、大人の時代のための投資の時期だというふうになってしまったんですね。(…)子供時代というのは、大人のためにあるんじゃなくて、子供時代のためにある。子供の時代にしか味わえないことを味わうためにあるんだと思う。(…)個性なんてその子供時代の体験から育つものです。(…)子供を一回大人の監視下から解放する。そうすれば遊び場がなくても子供は遊びます。(P.14)
私のとってのアニメとは;
要するに、漫画雑誌でも、児童文学や実写映画でもない、アニメでしかできない架空・虚構の世界をつくりあげて、そこへ自分の好ましい登場人物をほおり込み、一つのドラマを完成させる。結論めいてしまったが、私にとってアニメーションとは、そういうものである。(P.42)
自分の世界を持ちたいと~自分が作るとしたら;
中学生を中心とした”ミドル・ティーン”と呼ばれる人々の間で、アニメがいま大変な人気を呼んでいる。(…)この年代は、一見自由に見えるけれど、実は抑圧されている部分が多い。勉強と同時に異性への憧れも強い。そういう、鬱積したものから逃げる手だてとして、ミドル・ティーンたちは「自分の世界を持ちたい」と願う(…)私は、そうした感情を「失われた世界への憧れ」だといっている。(…自分と「白蛇伝」の出会い…)このように、みたされない部分を”なにか”ととりかえることにより、満足する。その”なにか”が映画であったり、音楽であったり、小説であったりするのだが、その一つにアニメもはいっているのだ。(…)ともあれ、私の場合は、「白蛇伝」をみたのあがきっかけで、アニメーターの道を選んでしまったことになる。以来15年間にわたって、作品をつくるにさいし、私自身、変わらぬ姿勢は、「よい作品をみたり、それを乗り越えていく」という気持ちだ。(P.43)
いまのうちに勉強を;
いま、アニメの世界にいる若い人たちには、アニメが好きというだけでいきなり飛び込んできた人もかなりいる。この人たちにたとえば「チャイカ」が飛ぶときに、どういうイメージで飛ぶかを描いてもらう。そうすると、過去にみたテレビ・アニメのイメージしかわいてこない。これではダメだ。自分本来のイメージで飛ばそうとするならば、飛行機に関する本を一冊でも読んで、そこからのイメージをふくらましてほしい。(P.50)
虚構(うそ)の世界を作る;
つくられた世界?たしかにそうさ。客も役者同様それは知ってる。それでも楽しんでくれるのさ。……お客さんたちは、自分が勇敢で強くて、美しいことをさとるんだ。なぜ?そりゃお客さんの心のどこかに、そうした性質があるからだ!つくられたウソの世界?そうじゃない!わしらはお客さんたちに真実を見せているのさ。こういうふうにだってなれる、というかたちでね……。(ロイド・アリグザンダー「セバスチャンの大失敗」)アニメーションを作るとは、虚構(うそ)の世界を作ることなのだと思う。(P.52)
本来のアニメーターに近づく;
アニメーターとは、アニメーションをつくる人間、いや正確には人間たちだった。かつてアニメーターは万能だった。絵を描き、物語をつくり、動かし、色をぬり、カメラを操り、声や音まで自分で吹き込んで、一つの世界をつくろうとした。いま、アニメーションは量と分業の時代にある。世界に類のない大量生産、テレビ・アニメ番組の洪水の中で、アニメーターはもはやアニメ採算家庭の一歯車にすぎなくなった(…)あまりに厖大な作業量、制作費と時間の絶対的不足、局とかスポンサー、興行主たちの愚かさ、いったんできあがった分業システムの壁の厚さ、君がコンベアの前に座って、機械的に紙に鉛筆を走らざるをえないとしても、誰が君を責められるだろう。(…)アニメーターは、作品全体にかかわりを持つことはできないのだろうか……、本来のアニメーターに少しでも近づくことはできないのだろうか……。いや、道がすべて鎖されているわけではない。アニメーションはしょせん、人間の集団(それもたいしてい強固な意志で統一されていない集団)が、つくっているものなのだ。君に労をいとわぬ意志と、表現したい世界と、それを裏づける技術があれば、君は一歯車から少しずつ本来のアニメーターに近づいていくことができる。(P.53)
続く。
言わずもがなJR東海の遠距離CMは名作が多いのですが、ややマイナーなやつから。
「距離に試されて、ふたりは強くなる。」
JR東海(1992)
追いかけるところは、ほんとにぐっと来ますね。男女で違って見えることでしょう。
2004年以来、色々なことをやってきた貴樹の関西への異動が決まった。
聞いたときは、びっくりして思わず会社の階段を最上階まで駆け上がってしまったが、
自分の経験も含めて良い成長につながるので、すぐに良いことだなと思った。
いいところいっぱいの彼なので、
きっとさらに人間の幅を広げて、完璧に近いところになると思う。
転勤とかで、知らない土地に行くときに、大事なことはいくつかあるけど、まずは、
自分が気に入るよい街を見つけることだと思う。自分の時間が出来るからね。
あとは新しい友達を作っていくエネルギー。
それにしても、身の回りの仲間も色々あるもんだ、ほんとに。
残ってる東京の彼ら彼女らにも期待。
彼の相棒が寂しくなるだろうなぁと思いつつ・・。
「おくりびと」オリジナルサウンドトラック
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納棺師というテーマがやはり良かった。4月から出産や誕生のことに色々触れていたり、プライベートでオリジナルのコンセプトを持った葬儀関係の会社と2社くらい関わりがあったり、ちょうど良かった。それとこれ、どうやらもっくんの企画提案だったらしい。
本木雅弘;
個人的に10年前、インドの旅と、ある本を通して、納棺の世界を知りました。第三者が初対面の遺体を抱き、その旅立ちを手伝うという行為に新鮮な驚きがあったんですね。同時にその無言の関係が妙に映画的だなと、ずっと心から離れなかったんです。ほんのきっかけですが、それが今回の企画に繫がっています。
小山薫堂;
題材としてあったのは、山形と納棺師のふたつだけ。あと第一項の締め切り(笑)
久石譲;
愛用のグランドピアノを棺に入れて欲しいですね。あ、だけど大きくて棺には入らないなぁ。じゃあ、ピアノの方に僕をいれてください。(笑)
・フォーマットなく、ゼロから作る面白さ
・チーム感
・美学や価値観
・心の反応と表現
・開発と提案
2年生でクラスが一緒になって仲良くなった高校時代の友人のS。
優しいやつでよく色々な話をしたり(よく話を聞いてもらう)仲だった。
仲良くしていると、女の子の友達伝いで違うクラスの女の子が
彼のことを気になってることを聞いた。そして、おせっかいにも
なんかいろいろ動いて、ある日、告白するところまでいった。
そして、それがうまくいったときは自分のことのように嬉しかった。
でも、3年生の時には別れてしまった。
それから時が流れ、同じ慶応を卒業し、同じ新橋で働くようになった頃、
電話がかかってきて、そこで、実はその少し前に、彼女とばったり再会して、
付き合っているということを教えてもらって。一緒に食事をした。
そして、先日、結婚することになったという電話があった。
キューピット的な存在になっていたというのもあって
友人スピーチを頼まれる。初めて。
内容を考えるのと贈り物の準備で、
友達に当時の女の子同士の手紙を見せてもらったりした。
なんとも、見たこともない世界!
2人の間だけのニックネームが付いてたり(手紙は落としたりするかららしい)
好きな男の子のことのほんと一挙一動を報告し合っていたり。
サッカーや学園祭ばかりやっていた僕にはほんと縁がない世界だったな、と。笑
最近は、加えて、久雄の高校の同級生の映像の手伝いとかもあって、
高校時代ってどんな時間だろう、ってことをちょっと考えてみる期間のようです。
走ることについて語るときに僕の語ること 村上 春樹 文藝春秋 2007-10-12 売り上げランキング : 2094 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
僕自身について語るなら、僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできた。自然に、フィジカルに、そして実務的に。(P.113)
僕の人生にとってもっとも重要な人間関係(リレーションシップ)とは、特定の誰かというよりは、不特定多数の読者とのあいだに築かれるべきものだった。(P.58)
村上春樹 作家(そしてランナー) 1949-20** 少なくとも最後まで歩かなかった (P.233)
ナイキのHUMANRACE 10Kに出て、走ることって何なんだろうと思ったときに見つけて読んだ。2005年の夏から2006年の秋に書かれた本で、村上春樹と一緒に走っているかのような、また彼の人生がマラソンのように知れる本。走ることが好きかもしれない、という人におすすめ。
北京のNHKエンディング映像。
こういう映像を見るとひたすら歌詞と内容や色々なバランスを考えながら、
編集する人を想像して見てしまう・・。 そしてこういう風な順番になるんだなぁと。
それにしても、やっぱり人の感情が詰まってるな。
そして、昨日パラリンピックが閉幕した。
ちょこちょこチェックはしていたんだけど、すごかった。
気付くことも色々あったので、それはまた次の話題で。
それにしても前のモクモクファームの記事が、反応良かったですね。
数人から連絡もらえて嬉しかった。
さて、今日はいまさらではありますけれども、
自分にとってのブログの意味とか使い方を振り返ってみます。
書き並べてみると、
・備忘録・記録
忘れっぽいので何か残しておくと、後でその頃のことを思い出せる。
どこどこに行った、何した。そこで何を感じたか。
・近況報告
備忘録と同時に、それが遠く離れている人に近況報告が出来る。
もちろん会って話すのが大事なんだけどね。
・今考えていること、興味を持ったもの
思考したものを適当なまとまりの文章にしておく。頭が整理されるのと、
誰かその道に詳しい人が教えてくれる。
・感想・書評
読書、映画などはここに感想を残しておくと、自分の記録にもなるし
誰かが参考にしてくれるかもしれない。
・頭の体操
茂木さんが前に言ってたことだけど、朝だと脳を起こす。
夜だと目が覚めちゃう効果がある?
結構目的も色々ありますね。それによって記事の内容がバラバラなんですが・・。
哲平もブログで書いてましたが、きっとあるペースで書き続けるのがきっと良いのでしょう。
転勤により物理的な距離が離れ、日頃会える友達は随分と減ったのだけど、
インターネットがある時代の転勤だったおかげで、ネットでのやりとりだったり、
情報収集の面でも、昔と違ってよかったなぁと思ってます。
東海圏に来てずっと行ってみたかったモクモクファームさんに行ってきました。
そして社長の木村さんのお話を聞くことが出来ました。
非常に面白いので、是非ご一読ください。
木村さん
今、農業に注目が集まっている。今もNHKと他に1局テレビが来ている。なぜかというと自給率が下がっているのが問題になっているから。40%を切っている。なぜか。まず、農業をしている人の平均年齢しっていますか?なんと65歳。60歳以上が58%。あと10年経ったらどれだけやっているのでしょうか。こうなっている原因の1つに、産業間格差というのがあります。車を作る会社に行ったほうが簡単に300万円とかの年収がもらえるし、安定する。農業は生計が立てられない、生活できないとなっている。だから、若い人が来ないのです。自給率を上げるにはどうしたらいいか。若い人が農業に一生を捧げようと思ってもらわなければいけない。人生は一回しかない。
さて、モクモクはどうしたらいいのか考えました。悲しんでいてもだめ。さて、何が問題なのか。農業では、自分で作ったものを「値段を自分で決められない」ということです。相場によって決められている。例えば燃料が今上がっていて、他の物価が上がっている、それなのに野菜は下がっている。農家は上げて欲しいと思っているのに。ほんとは高く売りたい。誰が相場をつくっているんでしょうか。もし、価格が2倍になったら、今の農業も一気に元気になりますよ。(元気に畑を耕す格好をして)結局、一般の人は、戦争があったりして気付く。ちょっと昔、米パニックありましたね。あんなのがあったら分かるんです。
若い人に、農業は夢もロマンもないと思われている。でも、そうなのか。モクモクでは、平均年齢は30ちょいの若い人ばかり。平均を上げているのは僕達みたいな人たちだけ。先週も今日も面接をしているのですが、明日も何十人も面接に来る。地元の人もいるけど、全国から来る。なぜか、モクモクは、新しいタイプの農業、新しいスタイルの農業に挑戦をしている。忍法のごとく変身している。(伊賀は忍者の里)こんなのも農業?というのにどんどん向かっている。
どういうことか。例えば、1次産業と言われるところだけじゃないことをやる。レストランをやっている。それが、東海ウォーカーで若い人からの人気ナNo1に輝いたりしている。レストランだって農業。口にするものは全部農業。一次産業だけでは夢がない。そして、下請け。自分で作ったメロンが、千疋屋で20万円で売ってたりする。日本の食品産業は80兆円。原料は12,3兆円。その間は、加工・サービスなどということ。例えばコンビニの120円くらいのおにぎり。原料は30円くらい。だから、生産-加工-サービスというのを全部やると利益が作れる可能性があると。それを目指して20年前くらいからコツコツやってきた。そうすると、自分達の規格外品はレストランで使えるといったこともできたりもする。
モクモクは閉じているのではなく、参加したいと人が入ってくる新しい仕組みを持った農業が出来てきたなと思う。理想的な社会の1つ。もっと、働く人が主人公であるべきだと思うのです。だから、うちは協同組合。扶助、助け合いの精神。働く人はそのほうがいいわけです。経営者としてのお金持ちはいないけれど、助け合ってやっている。みんな元気で思いをもって働いている。僕は後何年かしたら去っていく。出資金とわずかな功労金だけもらって。会社は誰のものかという議論があったけれど、ここは誰のものでもない。しいていえば、地域のもの。会社は、30年と言われたりするけれど、永遠に続く会社は働く人が中心。全ては地域のもの。だから、成長しているしエネルギーがある。そういうふうに農業を変えていきたい。自立できるように。
うちは、若い人がどんどん海外に勉強しに行く。ドイツに、デンマーク、オランダに。ヨーロッパから学ぶものが多い。例えば、うちは今度養豚場を作ろうとしている。全てが循環型の。養豚でも新しいものを作っている。なにをやるにしても必ず新しいものをつくろうと言っている。もちろん、安心、安全なものを、おいしいものをつくる。おいしいというのは欠かせない。イタリアのスローフード、おいしくなければならない。本質的なものはおいしさ。その次に、安全・安心。農業の現場での問題は、薬。まず抗生物質は駄目。結局、我々の体に入ってくる。だから、取り組んでいるのは無薬の農法。薬を使わない。そして、循環型。アメリカの穀物が問題になっていますが。何かというと、豚・鶏は、穀物を食べる。4キロ使って、1キロ太る。中国、インドが豚や鶏をどんどん食べるようになったら作物は大変です。そうでなくても、エタノールに使われたりしている。エサは当面安くならないでしょうね。
エサは高くなるけれど、養豚をやりたい。そこで気付いた。私達は食べ残す。年間1人あたり160キロも食べ残す。結婚式場で出てくる豪華な料理、居酒屋で出る色々な料理。さらに、工場からも出てくる。規品や返品などすごい沢山。この地域には、井村屋さんの肉まんとかを作っている会社の工場がある。赤福もある。工場から出たそういうものは、全部償却されている。それらを集めて、豚のエサにしよう、と。
ここで、その知恵がどこにあるかというと、デンマーク、ドイツ、オランダ、それとフランス。ヨーロッパはすごい。日本はこれまでアメリカの消費社会に学んできたが、今後はヨーロッパに学ぶべきだと思う。例えば、こういう循環型の技術は彼らがとても進んでいる。学んできた方法は、固形を集めてくるだけじゃなく、さらに液状のものも集めてくる。それらを混ぜてそのドロドロのスープを作り、さらに発酵させてヨーグルト状にする。豚はそういうものも食べる。そして、さらにすごいのは栄養分析して、足りないものをどんな穀物で補うか考える。穀物は3~4割で済む。あとドイツだとビール粕なんかもよく使っている。それから、豚のウンチ。メタンガスを出して、発電する。そこで出る熱エネルギーも利用する。さらに臭いと思われがちだが、ヨーロッパの脱臭技術がまたすごい。何を使うかというと、木の根っこ。木の根の吸着力はすごい。出てくる空気は、かすかに土の良い香りがする。こういう技術はどんどん学べと思います。他にハムの技術はドイツから学んでいます。
それから食育。毎年、海外の大学生の受け入れをやっていたりするのですが、フランスから4人留学している。我々も彼らをもてなす。自分たちの作ったチーズ、山梨のワイン。おいしく食べてもらう。しかし、最後にはフランスのほうが美味しいと必ず言い出す。そして、こうこうこういう風にすればもっと美味しく作れるとか言い出す。どうして知っているのかと聞くと、そんなの子供の頃から知ってるという。子供の頃の環境と、教育の一環として食育がシステムになっている。日本だと食育基本法みたいなものがあるけれど、法律であって制度になっていない。報奨金をまともに出すとか少しはやっているけれど、それを学校がちゃんと取り込めていない。子供達は学ぶとやっぱり、地域のがいいよね、と愛着や郷土愛が分かってくる。今、自国愛とか日本のものがいいよねと言える人がどれだけいるか。そんなことをフランスの彼ら・彼女らから学びました。
やっぱり自国の食文化を見直そうということをやらなくてはいけない。スローフードすごいですよね、イタリアの世界的な広告になっている。あれで産業が色々潤うんですから、日本だってやっていかなければいけない。マクロビオティックとかはすごいですよね。あれは、マドンナとかがやって向こうで流行って、逆輸入です。他にも出来るはずなんですよね。僕らもマクロビオティックのお店を1つ出した。四日市の第一号店を、野菜だけにした。モクモクなのに肉は出さないと。
それと、食育の話ですが、食べ物からは人は本当に色々学ぶ。子供なんて、知らず知らずのうちに詳しくなっていく。詳しくなって、おいしいものをおいしく食べてもらえれば、作る人はがんばる。そういうもんなんです。だから自給率を上げるには食育が必要。子供が例えば、酪農体験をやってみるとはじめて気付くのは「牛乳があったかい」ということ。ものすごい気付き。牛乳は冷蔵庫に入ってるから冷たいもんだと思っている。牛の動きとかあったかさから、命を感じる。情操を学ぶ。牛って大変だねーと感じる。そして、栄養のことを教える。そうすると牛に新しい価値観を持ち、きっと捨てようとするときに躊躇する。他の命をいただくということを学び、ものの大切さを体験で学びます。
うちでは、子供を1週間預かるというのをやっている。40人くらい。ものすごい人気で、1日だけ設けてる予約日には電話が殺到して10分くらいで埋まってしまう。こういうことは事業としては儲かりません。ですが、農業のファン作りには欠かせない。教育についてですが。農業をやっていると個性が出てくる。私は牛が好き、私は野菜に興味をもった、僕は虫が好きとか。そうすると、どんどん牛を勉強しだしたりする。自分で勉強すると勉強の仕方を学ぶ。教え育てる「教育」では、人間性を失ってしまう。自発的に育つ「発育」が大事だと思います。カリキュラムの転換、学習の転換、個性を伸ばす。農業側から学校を作ってみたりしたいなと思います。
他にも福祉についても考えたりしている。老人ホームとかに行くと、あの綺麗な施設でほとんど生き甲斐を感じていないのではないかと思ってしまいます。日本の100歳以上の長生きする人はみんな農業をしていた。なぜかというと。毎日に生き甲斐がある。種を植えてそれが収穫できるまで時間があるからです。そこに希望がある。だから長生きするんです。
お金がないけど夢があるという人には、市民ファンドがもっと必要だと思います。農的な暮らしをしたい人にお金を貸したり、市民農園を紹介する。老人で水遣りが大変ならコンピューターに任せるってことも出来るかもしれない。収穫祭は出来るし楽しいですよ。そういうライフスタイルの提案をしていきたい。
ライフスタイルというのでは、5都2村というのを言っている。5日都会で、週末は田舎。モータリゼーションでそれが可能になっている。実は、よく東京から東京にお店を出さないかとかと声がかかるのですが、うちはやらない。なぜかというと2,3時間で車でいける場所ではない。この2,3時間の距離というのが生活圏のギリギリなのではないかと思います。何か問題があったら、車でいける。
こんな風に僕らは、まだまだやれていないことも多いのですけれど、日本の農業というカテゴリを破ってやれればいいと思っています。どんどん日本で農業の枠組みを変えていく人たちが出てこればいいと思っています。
-どんなスタッフ体制でこれまでやってこられたのですか?
自分はやさしい性格。だから専務の吉田がその反対で大事だった。仏の木村、鬼の吉田と言われたりするくらい。他には、役員が7名ほど。それとキャプテンと呼ばれる色々な事業のマネージャーが30人くらい。このメンバーで会社を進めている。実際にはマネージャー会議で大まかにきまって、役員が最終決定を下すわけですが、ちゃんとマネージャーが議論されているときには僕らはほとんど何も言うことがない。発想や夢は語りますが、僕らだけの夢でも足りない。例えば、今日はバンザイ祭りというのをやっていますが、早稲田のバンザイ同盟というところとモクモクファーム全体が一緒になって作っている。こんなアイデアは僕からは出てこない。基本はみんなの総意でやっていくことですね。
-他に農業やっている人はどういう風にすれば自立が目指せますか?
まず、チャンネルの多角化ですね。農協だけではなく、自分で売る先との関係をたくさん作っていかなくてはいけない。それとブランド化ですね。
決壊 上巻
平野 啓一郎
新潮社 2008-06-26
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少し話題になっていたので、平野啓一郎さんの小説を読みました。ジャンルとしては犯罪小説。一気に読んだ。
ネット社会の中での仕掛けと表現が非常にドキドキして面白かった。
読後の感想としては、文学的、小説的にというより、
残虐な犯罪を中心とした社会の暗い部分を照らす本として面白く、考えさせられた。
僕が物心ついてから覚えている犯罪事件で言うと、
松本サリン事件(1994)、地下鉄サリン事件(1995)、神戸連続児童殺傷事件(1997)、
和歌山毒物カレー事件(1998)、池袋通り魔事件(1999)、下関通り魔殺人事件(2001)、
付属池田小学校事件(2001)、仙台アーケード街トラック暴走事件(2005)、
秋田小1男児殺害事件(2006)、秋葉原通り魔事件(2008)、、etc
などが思い起こされるわけですが、忘れてしまうくらい沢山の事件があった。
どの事件にも、加害者がいて、被害者がいて、容疑者がいて、警察がいて、マスメディアなどがいて、
それらの人に、親戚や友人知人という関係者がいる。
どれもその時は大きくメディアで取り上げられる。
そして、話題が続く限りの一時的なもので終わる。
しかし、それよりはるかに長い「事件前後の時間」があり、
多くの人のその後の人生に、とてつもなく長く辛い時間を残す。
本書はそこを描いている。
(というか僕にはそこが一番印象に残った。興味を持った人は読んでくださいね。)
また、ポイントはこの作者は、「ウェブ人間論」という本を梅田望夫さん(ウェブ進化論他)と書いている人で、
ネット社会とこれらの事件をおそらく意欲的に調べ観察して、表現されているところ。
秋葉原通り魔事件(2008)より前に書き出しているので、それを予見していたが如くである。
ブログを読んでみると、そのへんの思考の一部を知ることが出来る。以下平野さんのブログより引用。
平野啓一郎;
『決壊』でも書きましたが、この「連鎖」という現象に関しては、ネットというよりも、マスメディアのアナウンス効果の方が大きいと思います。小学校乱入事件が連日報道されていた時には、同じような事件が続きましたし、ネット心中や硫化水素自殺も同様です。といって、そうした事件については、一切報道すべきでないというのも非現実的な提言で、結局は、どういう報道の仕方が、アナウンス効果を最小限に留められるのかについて、地道な検証を繰り返しながら、考えてゆくしかないでしょう。マスコミ各社が、第三者を含む検討委員会を作って、この問題に特化した共通のガイドラインを作成することは意味があると思います。
平野さんは、結局はネットで全てが書かれてしまうことも前提にしつつも、こう書いていると。日本のテレビでは、自殺の方法を説明してしまうが、WHOの基準では報道するべきでないことが明示されている。この前の森山直太郎の発言(1人がネガティブな受け取り方をしてしまうのは、望んでいない)みたいな、情報公開の影響についての判断をよりすべきなんだろう。
平野啓一郎;
「ネットの暗部」という言葉がよく用いられますが、それが予測不可能性という意味で用いられているのでないとすれば、そのほとんどは、同じ紋切り型で返すなら、「人間の暗部」の表現に過ぎません。「人間の困難」というべきですが。小説家としての僕が、上記の三作を通じて書きたかったのは、「ネットの暗部」などではなくて、「人間の暗部」です。その描き方は、グロテスクだったり、滑稽だったり、物悲しかったり、と様々ですが。
ネットの暗部<人間の暗部 と。
やっぱり「心」の部分について、よく考えていく必要があるのだろう。
最古の鉄剣、材料は宇宙から=トルコで出土、東京理科大など分析トルコで出土した世界最古の鉄剣が、宇宙から飛来した金属を主成分とする隕石(隕鉄=いんてつ)を材料にした可能性が高いことが、東京理科大などの研究チームによる分析で分かった。持ち出しが制限される貴重な文化財の分析は困難なケースが多いが、研究チームは超小型の分析装置を開発、鉄剣を所蔵する同国アンカラの博物館に持ち込み、精密な分析に成功した。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_date2&k=2008090600053
これは、すごい。
歴史⇒宇宙っていうスケールがいい。
当時に思いを馳せてみたりする。
森山直太郎さんの歌詞を作っている御徒町凧(おかちまちかいと)さん。
彼がやっているタデクイという総合文芸誌があって、
これがなかなかバックナンバーが手に入らないみたいですが、
一青窈なども書いているみたい。タデクイ派とか言ってるけれど、(谷崎潤一郎が影響してる?)
こういう時代にあって、こういうところから次の文化が生まれるかもしれないと思った。
「嘔吐会」という詩の朗読会をやっていたりしているそうだ。
そして、今度は、「谷川俊太郎と御徒町凧の朗読会」という会も行われる、と。
谷川俊太郎といえば、小学校3年生の時に字が汚すぎて、担任の先生(と母親?)に個人宿題で、
毎日1つの詩をノートに書き写すことをやることになっていたことが思い出されるのですが。
生きてることが辛いということは多少なりともみんなにあるし、ややその様相が表に見えてくる中で、
それに目をつむるのではなく、受け入れながら、
元気をもらえる言葉やそれを読む人の声というのは今後求められていきそう。
森山直太郎のコメント;
「メッセージは詞の全体に込められています。全体を聞いてほしい」
また、コンビニの措置(部分的に流す)について聞かれ、
「すごくいい判断なんじゃないかとは思いました。誰かをむげに傷付けてしまうっていう、それだけはやっぱ嫌だ。100人聞いて99人がいいと言ってくれても、1人がネガティブな受け取り方をしてしまうのは、望んでいない」
広告関係でよくある本だろうな、と思っていたら、この本は軽くヤバい。(広告系ではあるんだけど)
冒頭のまとめも良く出来ているし、事例の1つ1つの思考にびっくり。
この本を読んで、自分の方向性にも影響がありました。
報道ステーションより、福井の少子化対策の話題。
これまで子育て家庭への経済的支援策として、3歳未満の乳幼児(子どもが3人以上の世帯では小学校就学前の児童全員)の医療費無料、第3子以降3歳未満児の保育料の1/10への軽減、また、すみずみ子育てサポート事業による利用料の1/2への軽減を実施してきました。18年度から、3人以上のお子さんがいる家庭を応援し、経済的負担の一層の軽減を図るため、3人目以降の子どもについて生まれる前の妊婦健診費から子どもが3歳に達するまでの医療、保育にかかる経費を原則無料化しています。
http://www.pref.fukui.jp/doc/kodomo/threechildren/sanninko-project.html
3人目以降は、妊婦時から3歳まで無料と。その他施設面、育児休暇面でのサポート。
県担当者の言葉;
出生率は2.07なければ人口は増えない。2人じゃだめなわけですよね。
専門家の言葉;
団塊ジュニアがそろそろラストチャンスの時期。今やらなくては。
教科書通りの言葉だけど、実際にやっていて、結果が出てきていると。
(もちろん、その層の駆け込みによる自然増もあると思うのだけれど)
ベストプラクティスとして水平展開すればいいと僕は思う。
もちろん、教育費って3歳迄どころじゃないわけですが、やっぱり助かるし、
3人目を産もうかなと思う人も出てくるはず。
ただ、やり方には色々議論するところもあるんだろうな。
産まない夫婦へのアプローチをするかとか、2人目からやるとか。
そして、福井県で年間118億の予算。これをどう見るか。
ことさか船長と横浜の海に漕ぎ出しました。
パシフィコに横付けはなかなかの経験でした。
夜は結婚のお祝いとけんちゃんの二女誕生祝い。
たすくがいなかったのが残念でしたが。
次はイギリスから帰ってきた後かな?
みんなが成長の途中で面白かったです。
こっとんもけんちゃんも
ほんとにおめでとうございました!!
郡上は、木の下駄がカランカランと鳴り響く町です。
1ヶ月半くらい夏祭りをやってて色々な種類の踊りを踊る。
そして、数日は徹夜で踊り続ける「徹夜踊り」。これに参加。
それにしても岐阜は良い祭りが多い。祭り好きとしては嬉しい。
なんで良い祭りが多いのかという謎はもうちょっと探ろうと思ってます。
祭りを伝えられる写真がうまくとれてないのですが、ちょいと。
10キロ走ってきました。とても気持ちが良かったです。
世界の25ヶ所で行われたんですが、なんと同時にスタート。
夜走る都市もあったみたいですが、日本は朝10時半。気持ちのいい時間でした。
ゴールは湖のほとり。いいコースです。
走り終わった後は、音楽フェス。
サンボマスターがいい感じにシャウトしてて、
木村カエラがかわいかったです。
10Kランイベント+音楽フェス+世界中25都市の同時開催
+チャリティーイベント+ナイキプラスの経験価値マーケティング って感じのイベントなんですが、
まぁ、そんなことより、
走ることの気持ちよさに気付いた日でした。
今後もちょこちょこ走っていきたいと思います。
本栖湖は初めてでとても良かったです。
カヌーしたくなりました。