赤と黄色が点描された山々の中をすり抜けていくバスでの移動。鮮やかに乾いた青空。サービスエリアでの休憩は、冷たい空気が秋の香り付けがしてあってリラックス度満点。お土産は誰が考えたのか美味しそうな栗きんとんロール。作られているのはやはり中津川。高山に着いて、高山の空気を吸いながら、しょうゆ団子の串をくわえる。陣屋の前で、朝市がまだやってた。からっと晴れた冬の朝におばあちゃんたちが談笑する声が響く。富山や飛騨のリンゴとよく熟れた干し柿を口にする。高山が迎えてくれた小さな秋味のオードブル。高山は中心を流れる宮川に平行して木造の日本家屋が縦ぶ。職人の町にはそれらのことを教えてくれるコミュニケーターが沢山いる。御香のお店で色々な香りの御香の作り方を教わったり。しょう油が味噌から出来る作り方を教わったり。途中、道端で地図を広げていたらおばあちゃんがオススメしてくれたので、枯葉を踏みつけながら上る高山城跡。きっきの黄色い服に赤いもみじを貼り付けて、この秋の新作コレクション。付きすぎじゃないのと思うくらいたわわとなる柿の木々。それを干すのは古の智恵。
高山から電車に乗って、飛騨古川を通り過ぎる。春にはここで起こし太鼓を見た。あのときは、夜に鳴る太鼓と男たちの熱気とそれらを酒を飲みながら眺める家屋の街並みに感動した。さらに北へ進んで、角川に到着。駅を出るとそびえ立つ山。寒い道を歩いているとどこまで行くの?と僕らを乗せてくれる猫バス。友達のおばちゃんの家に近づく。立派な日本家屋。扉をがらがらと空けて靴を脱ぎ、廊下を進む。
出迎えてくれたのは、おばあちゃんの笑顔とコタツには机いっぱいの料理。イモ、マメ、ナツメ、ゼンマイ、新鮮なイカ、おでんに、ハンバーグ。真っ白でみんな上に外に向かっているかのようなご飯が美味しい。いっぱい食べてーとおばあちゃん。食べきれない量を目の前に楽しいので笑いがこぼれる。畑や田んぼの話、この辺の話、親戚の話と、色々な話をする。おばあちゃんの声と話し方がトトロのおばあちゃんに似ている。作業場を見せてもらう。たくさんの大根、石で漬けてある漬けもの。長芋は4kgを超えるのがごろり。目の前にドングリが落ちて来そうな階段を上がって屋根裏部屋へ。大人になってしまったせいか真っ黒くろすけには会えない。代わりに沢山の南瓜達がこっちを見ていた。
食事をする部屋の周りに飾ってあるのは、今年亡くなられたおじいちゃんの撮った自然の風景写真と武田さんの絵。おばあちゃんの家から見える倉の風景を描いた絵は、ジブリの絵みたいでとてもいい。この3月におばあちゃんの家に来て、3日間かけて描いたらしい。孫が一人で遊びに来て、絵をい描いていきそれを家に飾ってもらう。おばあちゃんはどんな気分だろう。
夜更けにピザを抱えて叔父さんがやってくる。叔父さんは娘婿だから血のつながりもないのに身の世話を手伝ったり、こうして来てくれたりする。親戚やそれぞれの人生や交わりあいの話を聞いたり写真を見ながら、親戚のつながりの話を聞いたりしながら眠くなったので就寝。重い布団と毛布でぐっすり。
朝起きて美味しい朝食を頂いて散歩をする。家の鯉、田んぼ、畑、倉。近くの小さな神社、流れる川、ほこら。隣近所さんが、娘をつれてやってくる。ひじきのお稲荷さんを作ったのでお裾分け。おばあちゃんと別れてまた来るよと言って電車に乗って名古屋へ向かう。紅葉が流れすぎるのを見ながら、いろいろな会話を楽しむ。高山・角川で感じたことがあるだけに話も弾む。
今回、おばあちゃんから学んだことは、人とのふれあい、自然・いきものとのふれあいが中心の生き方であること。生きている実感を感じながら暮らせているんだと感じた。親戚だったり隣近所のひとたちと、助け合ったり作ったものを交換しながら、十分豊かであると。加えて、武田さんのことの理解が深まった。実家にお邪魔するのはもともと好きで友達の親と会うというのは学生時代からよくやっていたけど初めてのおばあちゃん。おばあちゃんと孫の会話からみえる関係。武田さんはおばあちゃんと会話を沢山しながら、自分の中で必要なものといらないものをよく見つけてきたんだろう。純粋で混じりけがなく強い心。描く絵やデザインやつくるもののセンスもそこからきてるんだろうと感じた。今田舎暮らしがしたい思ったのではなく自分が家族や親戚や仲間とどう生きていきていくか考える参考になった。
ATARIMAEプロジェクトの映像を
ひとつひとつ見て、やさしい気持ちになれた。
先日のカンブリア宮殿然り。
経済的なものとは別の価値と経済的な価値の組み合わせが求められていく。
ほんとはそういうことがずっとやりたいと思っているわけだけど、
う~ん、なかなか出来ていない。
もっと自由に動ければ、と思ってしまうが、少なくとも今はそれは違う。
自分の力が足りないから力をつけよう、ということにする。
ただ、30代半ばからはそんなことは言わないようにしたい。
障害者の雇用について取り組んでいる「ATARIMAEプロジェクト」を見つけました。
目的についてはここをぜひ読んでください。
いくつか映像を見ると分かると思います。
http://www.atarimae.jp/crosstalk/
今後の活動については分かりませんが、
ネーミングがわかりやすいし、全体に優しいデザインがいい感じですね。
ロゴについては丹下紘希さん;
あたりまえプロジェクトのロゴデザインに込めた想い、それは"それだけでは完成しないもの"でした。"それだけでは完成しないもの"それは あたりまえプロジェクトそのものであると言えます。なぜなら、あたりまえプロジェクトは多くの人や企業の協力がなければ成立しないからです。(中略)このロゴアイコンは、参加するあなたによって自由に変える事ができると考えてください。もし、誰もが自由に絵を描いて参加出来るロゴが生まれたらどうでしょう?例えば、このロゴの足りない部分に絵を描いて色をつけてもらいます。人によってはあまり上手に塗れなくて、それはあまり奇麗なロゴにはならないかもしれません。しかしそれはそのロゴの個性となり、世界中のどこを探しても同じ物はなく、唯一無二の素敵なものとなるはずです。
2週間前くらいからバタバタして、体調を壊し気味だった。
いつもはすぐ直るんだけど、珍しく回復が遅い。
一人暮らしだとほんと大変になる。家事の進みも遅くなるし。
やはり、心と体を元気にしておかないと、いい仕事はできない。
早く体調を戻していかなければ。
そして、明日からまた頑張ろう。
自分の子ども時代を思い出して、「あおぞら保育園」という名前で検索してみたら、
一番最初に出てきたのが、ほんとに僕が小さい頃にいっていた保育園のHPだった。
なんだか懐かしくなった。まずこれに微笑む。
『「楽しくなければ、保育園じゃない!」をモットーに、子供達と楽しい保育園づくりを行っています。』
あおぞら保育園は、つくば市から少し外れた田舎エリアにあった。
僕は実際にはほんとに小さい頃だけで、その後アメリカでたしか3歳くらいからは別の保育園に
いっていたので、あまり覚えていないのだけど四季の行事の写真とか見ると
子どもが触れる自然などが、とてもいいものだなぁと思う。
はじめて理念を読んでなるほどなと思った。とても良い。
解放の話は、宮崎駿の出発点にあった話にも近い。
僕はこの保育園が好きで、中学校の時の職場体験でここに行き、
仲良くなって保育園のスキーに園児たちと参加したこともあった。
これを見ていて一番良かったのは、
という季節の移ろいと空の写真。
空だけなんだけどね、
あぁ、ほんとにあおぞら保育園だったな、って思った。
それにしても、名前がいいよなぁ。
名前だけで何度か口にしてしまう。
興味もっていただいた方は、
コチラからどうぞ。
あなたのいた保育園・幼稚園はどんなとこでしたか?
学生最後の年の早稲田祭。
早稲田大学の大隈講堂の広場で、
僕らはコントを作っていた。
そんな話は置いておいて、その頃に知り合った理恵子さん(通称:あいため)。
独自の活動をされているわけですが、ブログで、
彼女の14歳の頃の絵と解説文を紹介してくれていてそれがなかなか興味深い。
14歳のあいため drew;
14歳のあいため wrote;
下の橋が普通の人生の道。
そして、上の龍が自分が望んでいる道。
下の橋は安全で壊れることはない。
しかし、通る人の行き着く所は皆同じ。そんなところより少しくらい危険でも
いつ振り落とされるか分からない不安に
晒されていても自分で夢を掴みたい。
女の人は、龍に乗った人を不安そうに見守っている。
もちろんその後の人生で出会ったものにも影響を受けるけど、
15歳くらいまでに好きになったものとか、考えたものに
その人の生き方や人生は大きく動かされると思う。
これも、その後の人生なんて分からないものだけど、
きっと無意識的にも自分が大事にしていきたいものを描いているんだろうな。
一杯の水を置いただけです。
今日、動物園(会社)にちょいとした有名人OBが来て話していた。
生き様が異常で良かった。
問題が解けたり、また壁にぶつかったり、
そんなのの繰り返しで、苦しいこともあるけれどこれでいい気がする。
幸せは、手作りだと思う。
決まりましたね。
この演説で出てきたCampaign Manager David Plouffe
のストラテジーVTR;
トウキョウソナタ(竹書房文庫た1-1) (竹書房文庫 た 1-1)
田中 幸子
竹書房 2008-09-18
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パンフレットより(吉村未来:ライター);
たとえば東京タワーから眺めた夜景の、一粒の光。無数の明かりのそのひとつの中にだって、人が暮らし、人と人の絆がある。小さな大都会・東京には、たくさんの光り輝く愛がひしめき合っている。小さくても、東京に我が家を持つことって、きっと並大抵のことではない。たくさん働いて、たくさん犠牲にして、やっと手にした自分の居場所。…のはずなのに、それを手にした時には、居場所の中身はすでに崩壊寸前だった。そんな家族は、東京だけじゃなく、大都会の中に、この世界の中に、一体どれほどいるのだろうか。私たちはいつだって、社会の一部であり、世の中の流れにどんなに逆らおうとしても逆らい切れない大きなうねりの中で生きている。そして、それが人の心をバラバラにする要因にもなる。・・・
今年のカンヌで「ある視点」部門審査員賞受賞の作品「トウキョウソナタ」。
静香に指名おすすめを頂いたのでさっそく見ました。
はじめは、おいリストラ映画かよって思いましたが、全体の場面場面での圧倒的な映画力と、なによりエンディングの素晴らしさ、それと小泉今日子の演技でとっても良かった。
そして、外国人の脚本家が書いたというのにびっくり。日本家族の描き方がリアルでした。そしてそれを小手先の技術ではなく、映像として伝える力はこの映画のスタッフの方々がとても個々に力があり、それがうまくかみあったんだろうな、と思いました。
観た後に、考えることが色々とあったのですが、過去に結構悩んだこととつながりができた。自分自身だったり、自分の家族だったり、身の回りにいる人。そう、生きていくだけで大変だよね、この社会、って思う。形に見えにくいところにスポットライトを当て、簡単には、じゃーどうするって話にはならないのだけど、最後のエンディングの4,5分で訪れる、一筋の光が注ぎ込むシーンは本当に良かった。
香川照之;
うまくいっている人より、うまくいっていない人の方がはるかに多くいて、うまくいっているように見えている人にも、抱えている嘘や秘密を持っていたりして・・
小泉今日子;
「誰か私をひっぱって」っていう気分とか、料理を作っても食べてくれる人がいない気持ちとかって、40過ぎた女性には、きっと一度は体験したことがあるんじゃないかなと思います。
「誰も知らない」を観て面白いと思った人には、おすすめ。
気になった人はぜひスクリーンで観てください。